11回:2011年2月12日(土)13:00~15:30(400席満席)
12回:2011年2月12日(土)19:00~21:30(400席満席)
13回:2011年2月13日(日)13:00~15:30(400席満席)
・鹿屋市リナシティかのやにて
・出演:鹿屋、国分、奄美の普通の高校生たち
・音響・照明・舞台:株式会社舞研
・作・演出:松永太郎
・演奏:松永太郎&ヒメヒコバンド
松永太郎(Vo,Gt,Key,Per)、永志保(唄,三味線,Key)、了徳寺洋(Gt)、斎之平美和(Vln)芳田聡子(Key)、上谷耕平(B)、森田孝一郎(Dr,Per)
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」鹿屋公演2011が終わりました。
関係者の皆さん、大変おつかれさまでした。
毎回恒例(?)のドラマーからみたヒメヒコの記録をお伝えいたします。
このプロジェクトが動き出して4年、今回が都合11回、12回、13回目の公演。その全てにドラマーとして参加させていただいてきました。1000年前の大隅と奄美の交流が、今も息づいていることを高校生の不思議なタイムスリップ体験を通して描き出すストーリーはずっと同じですが、毎回、その公演環境は変化してきました。
舞台に立つキャスト、ダンサー、歌い手たちが全て高校生ですから「卒業」があることはもちろん、その高校生たちのキャラクターの変化に応じた脚本の進行や挿入歌や演出の変更、追加、修正、そして会場もホームグラウンドのリナシティかのやだけでなく、奄美市や志布志市へも巡業し、それに伴う「松永組」スタッフの変更など、とにかく毎回いろんな変化への対応が求められるロングラン公演なのです。しかし、その変化があるからこそ、ロングランとしてプロジェクトの生命が脈動し続けてきているのだと思います。
しかし今回は、ボクの認識ではバンドメンバーの一部変更と2日目に大島高校の高校生たちが出演者に加わるということがあったぐらいで、キャスト、脚本、挿入曲ともに目立った大きな変化は無かったようですが、実は極めて個人的に「変えよう」と決意して望んだ公演だったのです。
それはボクのドラム自体です。今までも、もちろん舞台に立つ高校生たちを鼓舞し、お客様に感動してもらうためのサポート演奏に徹してきたつもりでしたが、その根底にあったのは、やはりバンド演奏も聴いていただく「ライブ」でした。今回、公演に先立ち、そうではないのではないかと自問自答したわけです。
本番2週間前の舞台リハのときに、演出家の松永さんから前回昨年11月の志布志公 演のDVDをいただきました。早速自宅で観てみて愕然としたのです。極論すると「このままではダメだ!」と思ったのです。演奏は、満員のお客様の雰囲気の中、多少突込み気味ですがイイ感じで盛り上がっています。しかし、コレではせっかくの高校生たちの迫真の演技が台無しではないか!?と。もしかして、うたうときに声を張り上げねばならなかったのではないか!?と。それを思うととても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
もっと音量を抑えて、リズムのノリは崩さず、ここぞというときだけスパイスを効かすような演奏で舞台にメリハリをつけると、もっと演技が映えるのではないか。もっとうたいやすくなるのではないか。
このことをバンドメンバー間のメールで伝えました。演出家でバンマスでもある松永さんも同調してくれ、現場に入ってからもベースの上谷さん、音響の田中さん(舞研)、てっぺいさん(同)も「ライブとしてのノリは落とさずにうたをいかす」という共通認識で一緒に試行錯誤したのです。
映像音声記録を見直さないと客観的に評価はできないですが、そういったスタッフ間の共通認識が、ボクのドラミングを変える勇気を後押ししてくれるようで、とても心強く、自信をもって、そして安心してその変化へ対応できた気がします。毎回のことですが、本当にこのチームはすごいのです。
これまでアンサンブルを主体として演奏するバンドでも同じような変化は求められました。自分でもそうしないと(音を抑えないと)と、常に自問自答してきました。しかし、そこには常に大きな不安と葛藤が横たわり安心とは程遠い精神状態での演奏に終始してきました。それはそれで貴重な経験なのですが、音だけでなく、高校生のうたやダンス、そして舞台を照らす照明や舞台セットまで含めての、ミュージカルという総合芸術をつくりあげるチームの中にいて、自分自身の変化の必要性とその手法を探しあてられたことが、この舞台づくりに関わる一人として、とても大きな満足感を得られた公演となりました。
そんなボク自身の変化など単なるココだけの記録であって、舞台に立った高校生たちの変化ぶり、光りぶりは、それはそれは毎回、眼を見晴らされます。まったくのゼロからのチャレンジに対し、大きな不安と苦しみのトンネルを抜け、大きな大きな成果を成し遂げつつある高校生たちの舞台上での表情には、ボクたち大人がだんだんと忘れていってしまう「熱」が充満しており、自分のあり方を問い直させるに十分すぎます。今回の、ボク自身の変化への対応も、そんな高校生たちの「熱」伝導から引き出された気がしています。
また次回もこのチームに召集されるべく、そして高校生たちの「熱」に負けないよう修練を重ねねば、と気持ちを新たにした今回のヒメヒコドラマー記録でした。
※掲載している舞台写真はリハーサル中のものです。
松永組長から動画掲載の許可をいただきましたので、本番前の気合入れの様子をご覧ください。
・2010年11月13日(日)
舞台公演 14:00~16:30
秋祭ライブ 19:30~20:00
・舞台公演:志布志市松山町やっちくふれあいセンターにて
・秋祭ライブ:松山城運運動公園にて
・出演:鹿屋と国分の高校生たち
松永太郎ヒメヒコバンド:松永太郎(Vo,Gt,Key,etc)、永志保(Vo,三味線)、了徳寺洋(Gt)、満田昭人(Key)、上谷耕平(B)、森田孝一郎(Dr,Per)、スーパー高校生N(Vo,Dr)
高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」の4年がかり10回目の公演は、ヒメヒコ演出家、松永太郎
さんの出身地である志布志市松山町へやってまいりました。
毎度のことながらこの仕事は、高校生たちのはつらつとした演技と、驚くべきその成長ぶりに大きな感動のプレゼントをいただくこともさることながら、舞台、音響、照明、ミュージシャン、そしていろんな裏方の皆さんたちによる「松永組」ともいえるこの大人たちのプロ集団による、魂のこもった仕事ぶりから学ばせていただくことが多く、そしてその集団行動がとても楽しいものなのです。
今回も一部入れ替わり(若返り?)はあるものの、いつものメンバーで公演前日から現地に入り、仕込み作業、打ち合わせ、リハーサル、そして深夜まで前打ち上げ!
一方、高校生たちは今年2月の鹿屋定期公演後、学校卒業により相当数のメンバーが入れ替わり、フレッシュな新人たち。そんな高校生たちが舞台でめいっぱい光り輝くよう「松永組」の組員たちはがんばりました。
その成果あり、新人高校生たちの演技はすばらしく、たくさんのお客さんたちを魅了、最後は大きな感動の渦がやっちく(野菜と畜産)の町を揺り動かしました。
今回はこれで終わらず、公演後、ヒメヒコバンドはダッシュで機材撤収してその機材積んだまま「松山藩秋の陣祭」会場へ移動しイベントライブ。さすがにヘトヘトでしたが、ヒメヒコキャストの高校生たちも駆けつけてくれ、なんと舞台に上って本公演さながらに踊りだしたのです。これにはボクたちバンドも発奮しないわけがありません。疲れていることも消し飛び、最後の力を振り絞り、うたい、弾き、叩きました。そのパワーが通じたか、小雨模様の会場は驚きと興奮の坩堝と化し、ヒメヒコやっちく松山藩秋の陣は終了しました。
これも毎回思うことですが、このチームに呼んでもらえることを心から誇りに思うし、また都度年毎に入れ替わる高校生たちとの出会いで、その高校生たちにボクたち大人は何を伝えられているか、自問自答しながらココ(このブログ)で自分の仕事を顧みています。
次回ヒメヒコ公演は、鹿屋での定期公演。来年2月12日(土)13日(日)ヒメヒコ本拠地リナシティかのやです。大隅から世界に羽ばたく高校生たちの演技をどうぞ、大隅国鹿屋まで観においでください。
※舞台写真はリハーサル中の、バンドピット、ドラム位置からの様子。演奏の合間に撮るのでいつも同じ場面(「王の登場」と「ヨイスラ節」)のような。でもこれで毎回の変化が楽しめます。
・2010年9月1日5日本番12日(日)10:10~11:20
・志學館中等部高等部体育館にて
・ご依頼:志學館高等部様
・指導:森田孝一郎
映画「扉を叩く人」(原題:The Visitor)は、生きる希望を無くした大学教授が、移民の青年と知り合いドラムと出会い、ドラムを叩くことで生きる希望を見出すが、青年に対する不条理と移民を取り巻く社会矛盾に葛藤する映画。
3年近く前、全国のドラムサークルファシリテーター同士のメーリングリストで紹介されたときは、日本公開はムリっぽい、と言われながらも都市部の小劇場で公開されはじめ、クチコミで評判は広まりつつも、鹿児島では公開は無いだろう という流れの中で、鹿児島コミュニティシネマの会員でドラムサークルカゴシマのリピーターでもあられるSさんが、熱くこの映画を紹介されておられました。その後、鹿児島コミュニティシネマがマルヤガーデンズにミニシアターをオープンさせ、そこで遂に念願の鹿児島公開。そのオープニングイベントでドラムサークルをさせていただきました!という、ストーリーでこの一連の「扉を叩く人」関係行事は終わったはずでした。
しかしストーリーは終わりませんでした。
驚いたのなんのって!高校2年生が映画「扉を叩く人」を文化祭のお芝居で演じるからドラム(ジェンベ)貸していただきたい、ついでにドラム奏法の指導もお願いしたい、とのご依頼があったのです。
高校生たちへのドラム指導だけでもありがたいお話なのに、その素材がやたら縁のある「扉を叩く人」です。よろこんでお引受けしました。
キャストはもちろん、脚本、演出、舞台、全て高校2年生による手づくり。レッスン初日は、シリア移民タレク役、大学教授ウォルター役の男子生徒2名にジェンベ奏法の基礎と簡単なリズムパターンをレッスン。レッスン2日目は、公園での多くのドラム愛好家たちとのセッションシーンをベースに、公園セッションシーンでつかうリズムパターンをレッスン。
自分たちでつくる舞台を成功させたい、という明確な目的が共有されているため、真剣そのものでのみこみも早く、こっちも気合が入りました。
そして本番。シリア移民青年「タレク」の名は、舞台上からの発音では聞き取りにくいためか急遽「アンディ」に変更。そのアンディ役、レッスンでは遅刻したり、発言も控えめな男子でしたが舞台上では大ブレイク!セリフもドラムの音も体育館の天井に突き刺さっていました。ボク自身いちばん緊張した公園でのセッションシーン、ちょっと走り気味だったけど高揚感があって気持ちがよかった。そして、主役ウォルター教授の迫真の演技。セリフはもちろん、ドラムを叩き、最後に扉を叩くひとつひとつの音が、ほとばしるようなリズムに溢れ、全校生徒の心をつかんでいました。
ドラムやリズム、そして舞台の現場で子どもたちが変化していく様子に居合わせる経験はこれまでもさせていただいてきましたが、今回、これほど新鮮な発見に満ちた場に居合わせさせていただけたことに大感激でした。
またこの志學館高等部の生徒達と一緒に、ドラムを叩く機会がありますように。
Are you ready ?
フォアオーーーーーーー、オッオッ!
・2010年2月13日(土)19:00~21:30(400席満席)
・2010年2月14日(日)12:00~14:30(400席満席)
・鹿屋市リナシティかのやにて
・出演:普通の高校生たち
・音響・照明・舞台:株式会社舞研
・作・演出:松永太郎
・演奏:松永太郎&ヒメヒコバンド
松永太郎(Vo,Gt,Key,Per)、永志保(唄,三味線,Key)、満田昭人(Key)、了徳寺洋(Gt)、永友良一(B)、森田孝一郎(Dr,Per)
今年で3年目になる高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」。出演する高校生は、舞台を通して大人に成長していき、それを支える大人たちは高校生のようにまったく純真、清純な心で仕事に向き合える。これを同時に同じ現場で行い、相互に刺激合い、相互にたすけあい、相互に成長することを実現しているのが「ヒメヒコ」というプロジェクト。このプロジェクトに参加させていただいていることに、心からよろこびと誇りを感じた今回の公演でした。
そこで毎度恒例の、ヒメヒコバンドのドラムバカから見たヒメヒコ鹿屋2010レポートです!
【前日リハ】2月12日(金)
ボクは、毎月通っている鹿児島市内の病院でのドラムサークルを終え、その足で鹿屋へ。会場のリナシティかのやに着き、すぐにバンドのサウンドチェック。今回のヒメヒコバンドは、ベースにハンサムナイスミドル永友良一さんが加入され、ビジュアル的に引き締まった感じ。
通しでリハを終えた後は・・・大人たちは当然ながら飲ん方(飲み会)。メンバーは、ヒメヒコバンドと裏方さんたちによるヒメヒコ松永組の面々。昨年8月の奄美公演以来の再会に乾杯!この乾杯で、もう、これから起きるであろう感動の2日間に武者震いが。
翌日早朝からフル回転なので12時でお開き!
ホテルこばやしで気持ちよく宿泊させていただきました。ありがとうございます。
【初日】2月13日(土)
ボクは宿泊先での朝食を終え、舞台の仕込みに入る皆さんとは別行動で鹿児島市内に移動、AMU広場でのジャズ演奏のお仕事へ。(すいません・・・)そして演奏終了後、またまた鹿屋に舞い戻り、夕方、ゲネプロ(舞台上での本番同様のリハーサル)のエンディングに間に合い、ハヤシライスのまかないをいただき、気合を入れて本番へ。
来賓席には県知事、鹿屋市長、奄美市長がそろい踏み。大人たちがこの舞台へ寄せる期待を大きく感じました。それをよそに高校生たちは実にのびのびと演技。ときに伊藤祐一郎鹿児島県知事をアドリブでいじるという高等芸まで披露し、知事をイスからずり落ちるが如くのけぞらせる始末。
そんな高校生たちの演技に会場は大いに沸き、バンドの音と音響、照明と舞台が緻密な計算による高い技術と熱いハートで高校生たちの演技を引き立て、冒頭から終幕まで高揚と沈静の大きなダイナミクスが、津波のように何度も押し寄せてきた初日の舞台でした。
ヒメヒコ最初の舞台から参加させていただいているボクにとって、8回目の本番でしたが、何度やってもいい、これはマンネリとか緊張が緩むとかありえない演奏であることを、まざまざと実感しました。
初日の舞台が終わった後、今回、奄美から参加してくれた高校生たちとの交流会が開 かれました。これが実に面白かった!出演者の役者チーム、鹿屋中央高校ダンス部チーム、鹿屋女子高音楽部チーム、そして奄美高校郷土芸能部チーム、大島高校新体操部チームそれぞれが趣向を凝らした出し物を披露。中でもやはり国分中央高校ダンス部のダンスにはあらためて脱帽!もしボクに娘がいたら絶対に国分中央高校ダンス部に入れるのだ!と思ったり。
バンドメンバーによる出し物では、ピアノの満田さんはオリジナル作品のソロ、ギターの了徳寺さんとベースの永友さんはビートルズナンバーのコーラスを聴かせ、女子高生らを魅了。でもボクは、台本パタパタによる鳥の羽ばたきとバードコールによる鳥の鳴き声でした。ちょっと残念。。(もっとなんかしたかった・・・)
片づけして大人たちは・・・・前日と同じ居酒屋で同じメンバーと飲ん方(飲み会)。
リナシティかのやリハーサル室に宿泊。
【最終日】2月14日(日)
6時15分に起きて、例によって日課の早朝お散歩。道端の小さなことに気付くことが音楽表現の上でとっても大事なのです。まだ薄暗い6時半からリナシティ周辺の盛り場、リナシティ下の川べりを歩きました。するとなんと川べりに甲突川にもいるアオサギ、カワセミがいてオドロキ!カワセミはリナシティの緞帳にも描かれていますね。朝食を済ませた高校生らも降りてきて、野鳥のうんちくをたれ、ちょっと自慢。。
お散歩後、朝食は、前日のまかないハヤシライスをアレンジした絶品牛丼をいただきました。これは期間中の食事でナンバー1の美味さでした!期間中の炊き出しは、出演する(した)高校生らの保護者の皆さんによるヒメヒコ会の皆さんによる手づくり。愛がこもっていました!
朝食の後、サウンドチェックがはじまるまでの時間、楽屋のソファで、しばしの二度寝をむさぼらせていただきました。
しかし「バンドさん、お願いします」の声がかかるとエンジン全開で舞台下へ。そのまま、部分稽古、後半ゲネと突き進み、昼食のお弁当いただいていざ、本番。
演じ、うたい、踊り、光り輝く高校生、一緒に熱く演奏するバンド、一瞬も気を抜けない照明スタッフ、10本の指を駆使し、かつ腕を交差させながらつまみを操作する音響スタッフ、暗闇で綱を一心に引き、道具を転換させる舞台スタッフ、これまでもそうでしたが、それぞれの強力なはたらきぶりがよりボクの演奏に影響を与えてくれたヒメヒコ9回目の本番でした。
女子高校生たちからたくさんチョコレートをもらいました。ありがとう。
片付け終えて、皆さんとお別れ・・・。。
しかし、大人たちは・・・・・前日、前々日と同じメンバーで飲ん方(飲み会)。
さすがに3日間連続の大仕事と痛飲は身体がキツイ。でも、やはりコレだけは避けられないという思いがあるなぁ。で、飲み進むにつれて元気が出てくるのはなんでだろう??毎回、この最後の打上げ飲み会で感じるこの仲間たちとの強い絆、回を重ねるごとに深まり、ボクたち大人も高校生達同様にヒメヒコを通じて、個人としてチームとして成長していっている感じがする。
だって、あんなスゴイ高校生たち見せつけられたら、大人たちはもっとスゴイ大人になりたい!と思うし、そう行動する。そんでそれを見た高校生たちは、もっとスゴイ高校生、大人になろうとする、そんでそれを見た大人たちは・・・・うーん、最高にいい循環モデルだ!
こんなステキな循環モデルをつくりだした松永太郎さんを、ボクは心から尊敬します。
ヒメヒコが今後もずっと続きますように。
夢は・・・NYブロードウェイ!とは、大人たちの飲み会での言。
でも飲み会の言がほとんど実現してるのが、このヒメヒコ松永組の恐ろしいところ。。
今回はこの辺で!
皆さん、また会いましょう!
・2009年8月24日(月)~28日(金)
・高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」奄美公演
・制作:リナシティかのや ・松永太郎
・出演:鹿屋、国分、奄美の高校生達
・音響/照明:株式会社舞研
・舞台:リナシティかのや
・楽団:松永太郎ヒメヒコバンド
松永太郎(Vo,Gt,Key,Per)、永志保(唄,三味線,Key)、満田昭人(Key)、了徳寺洋(Gt)、上谷耕平(B)、森田孝一郎(Dr,Per)
<<プロローグ>>
大隅半島と奄美大島の文化習俗交流の史実可能性を素材にして、演出家松永太郎さんが書き下ろした高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」。これまで物語の片方の舞台である大隅半島は鹿屋市リナシティかのやで2年間、2回にわたり上演されてきましたが、前回今年2月の公演終了後の打ち上げで「夏は奄美に行こう!」と極めて無責任に盛り上がったのです。
それから半年・・・。ボクたち「松永組」は奄美大島行きのフェリーに乗っていました。「松永組」は高校生による役者、ダンサー、歌い手らと大人たちの舞台、音響、照明、楽団(ボクがドラムで参加)、そして帯同スタッフ、総勢約70名。太郎さんは2月の鹿屋公演の打ち上げでの「夏は奄美で!」の有言直後、その翌日から行動開始しました。そしたら本作品のメインテーマでもある「結」のごとく、度重なるハードルを乗り越えながらいろんな人と人が奄美公演を結いはじめ、これも作品のタグを牽くと現実に「1500年の時を超え、奄美と大隅が結ばれた」のでした。
そんな今回のヒメヒコ奄美公演の目的は、やはり物語のもうひとつの舞台である奄美大島の皆さんにこの舞台を見てもらって何を感じてもらえるか、そして大隅と奄美の高校生たち同士の交流でした。
ボクの役目はこれまで同様、舞台音楽のドラム&効果音担当。今回のバンドは一部メンバー入れ替えと増員で前回までの5名から6名になり、これまでのバンドチームワークを温存しながらバンドサウンドが2ランクアップ。とてもいい音に仕上がって奄美に向かいました。ボクらの音がこれまで以上に高校生の演技を引き立たせ、奄美の人たちの心と響き合って欲しいなぁ。そんな思いで4泊5日の奄美公演旅行に出たのです。
マクラはこれぐらいにして・・・そんな一太鼓叩きの目から見たヒメヒコ奄美公演道中。
<<1日目~公演初日>>
・2009年8月25日(火)19:00~21:20 龍郷町りゅうゆう館にて約500人のお客様
大人たちったら・・・。午後6時にフェリーに乗り込むなり出航前から客室にて公演の成功を前祝。
しかし!翌朝4時に起床し、4:45に奄美港に入港、そのまま公演初日会場の龍郷町りゅうゆう館に移動し、早朝6時からの舞台仕込み。舞研の大型トラックに積まれたおびただしい量の機材・大道具を大人たち総出で搬出しての文字通り「朝飯前」。高校生たちは奄美の高校生たちとのはじめての合同練習を前に緊張しながらの個別練習。ボクらバンドはそれこそ朝飯前に舞 台下でのバンドセッティングをほぼ終え、朝食お弁当いただいて、サウンドチェック終えたら舞台上の大道具、照明の仕込み調整が終わるのを待ってる間に昼食。
午後からは奄美の高校生たちも到着し、そこからは止めながらの通しリハ、ゲネプロ、そして夕食取る間もなく本番、さらに撤収まで息つく間もない怒涛のミュージカルジェットコースター!!!
しかし高校生たちの堂々たる演技っぷりに、生のミュージカルなんてたぶんはじめて見るであろう満員のお客さんたちは驚きと感動のまぜこぜ大感動の様子。バンドもそんな高校生たちとお客さんたちに触発され、とてもいい演奏ができました。
撤収終わって会場を後にしたのが深夜12時前。
夕食も摂らずにはたらき詰めの大人たちは、宿舎に帰る道中でコンビニになだれ込み、主催担当A専務の救いの声を耳に。「ここの支払いはよかど!」
それから、大人たちは・・・。
<<3日目公演2日目>>
・2009年8月26日(水)19:00~21:20奄美市奄美文化センターにて約1000人のお客様
睡眠4時間で起床し、朝食をいただき、ボクらバンドは会場入りまでに時間があったので、自然散策マニアのボクは、波の音に吸い寄せられるように、ひとり宿泊先の奄美少年自然の家から貝浜まで降りていきました。道はかなり険しく、途中、来るんじゃなかった、と2回ほどあきらめかけましたが、だんだん近づいてくる波の音の誘惑に勝つことはできませんでした。
そして誰もいない朝の浜辺にたどりつき、やっと奄美に来た、という実感に埋め尽くされ、白い砂浜に座り込みし ばし呆然。白い珊瑚礁のかけらを4つほど拾い、波の音に包まれながら垣間見るその形状の不思議な様子を楽しみました。まさにセンス・オブ・ワンダー。この情感こそボクの音楽表現の源なんだなぁ、とつくづく感じました。その珊瑚礁のかけら、当日の舞台での「ヨイスラ節」の演奏でつかいましたが、気付いてくれたかな?
さ、当日の会場は県内でも有数の規模を誇る奄美市奄美文化センター。バンドはオーケストラピットでの演奏でかなり気合が入りました。この日も午後からは舞台上での部分リハーサル、通しリハーサルと息つくまもなく本番までスィッチ入りっぱなし。
本番は、ボクは舞台中央の真下から客席全体が見渡せ、お客さんたちの真剣なまなざし、爆笑、そして感涙をまんま受け止め、音を表現することができました。でもそのとてつもなく大きな感動のウネリは、ボクの表現者としての処理量を越えてしまい、受け止めた以上にオーバーパフォーミングしてしまったかもしれません。しかし、そんなお客様方へ大きな感動のプレゼントを渡すことができた高校生達の演技と、それを引き立たせた大人たちは、最高にハッピーな本番2時間半を過ごせたのではないでしょうか。本番の最中、関係者全員が、奄美大島の地でのこの公演が、打上げで語った単なる夢ではなく、我らがボス松永太郎の行動により、様々な関係者の思いが結実していきながら、その夢が現実に可能になり、半年という短期間で実現できたことの夢見心地を楽しんでいる ようでした。
本番終了後、我々ヒメヒコバンドは、舞台撤収中のスタッフの皆さんには悪いと思いながら、後ろ髪を引かれる思いで、奄美の受け入れ先窓口である奄美青年会議所さんが用意された打上げ会場ASHIBIへ。そこで、激しくうまいオリオン生ビールと黒糖焼酎れんとをたっぷりいただき、宿舎に帰りついて見上げた夜空。白く曇ってるのかな、と思ったらそれは生まれてはじめて見た天の川でした。おりしもその日は旧暦の七夕。演じた舞台は「ヒメとヒコ」。そしてその日はヒメを演じた高校生の誕生日でもありました。この世のものとは思えないほど美しく幽玄に光り輝く夜空を見上げながら、これは偶然ではなく必然であることを悟り、大きな感謝の気持ちとともに奄美での最後の床についたのです。
<<4日目 観光と交流>>
公演を終え、この日は観光と交流の1日。
・奄美パーク
「奄美の郷」と「田中一村記念美術館」が併設されている奄美パーク。ボクはかねてからの念願であった「田中一村記念美術館」に1点集中。これまでも2回、鹿児島市内での展覧会で見ていますが、何度でも見たいのが一村の作品。開館直後にヒメヒコ団体は奄美の郷から見て回ったので、一村にまわったボクは、一村の作品群を独り占め。途中まで誰にも邪魔されずにじっくり一村を堪能しました。やはり奄美以前の作品は平凡に見え、奄美以後の作品は今もその一村の魂が息づいているかのようで、作品の前にたたずんだ瞬間に鋭い戦慄を覚えます。広い展示室でひとりっきり床に座り込んで一村の屏風絵を見ていると、自分の音楽表現は一村の言う「自分の良心」にしたがっているのだろうか?と自問自答。一村の領域にはとてもじゃないけど踏み込めませんが、「音楽に対する自分の良心」は常に意識して音を出さねばとあらためて思いました。
・鶏飯「ひさ倉」
奄美に来たのがはじめてですので、やることなすこと全てがはじめてなのですが、奄美の郷土料理、鶏飯を食べるのもはじめてでした。
うまかった!
ただ、それだけ。でも、自分でもつくれそう。。
・平瀬マンカイ
今回の舞台「ヒメとヒコ」の物語を、松永太郎さんが創発された実際の現場で、物語のはじまりをみんなで共有。ところが、大フォトセッション大会に終始。女子高生らとVサイン。うははは。
・大浜海浜公園
今年初の海水浴が奄美大島で、しかも女子高校生たちと一緒、ってのはどぅよ。いやぁ、愉快痛快奇奇怪怪。楽しかった!ただ、それだけ。
・海辺でバーベキュー大交流会
海水浴の後は奄美青年会議所の皆さんがセッティングしてくれた大交流会でバーベキュー。今回の舞台にも出演した奄美高校郷土芸能部の皆さんによる島唄、おどりなどが気分を盛り上げ、海の向こうに沈む夕陽が名残惜しい別れを演出。最後は全員で八月踊り、六調で超特大の盛り上がり。高校生たちも大人たちもみんなが交流をさらに深めました。バーベキューもおいしかったけど、オリオンビールのカップで飲んだ麦茶は別れの涙でほろ苦かった。
・お別れ
夜9時半発のフェリーに乗り込んだ「松永組」は、全員デッキに出て最後のお別れ。七色のテープが伸びきり、暗闇の中、遠ざかるフェリーに向かって走る 高校生たち。
さ、次はどんな物語がはじまるのでしょうか。
フェリーが出ると大人たちは・・・・・。
<<5日目 終わりははじまり・・・>>
朝6時前に起きてデッキに出たら、目の前にドドーンと屋久島からのぼる朝日が、次の物語のはじまりを告げているようでした。(ヒメヒコバンドのライブ、、、来年2月のリナシティかのや公演、、など)
そして、舞台ではすばらしいダンスを演じてくれた国分中央高校のダンス部の皆さんからもらった寄せ書き「森田さんのドラム、ちょーかっこよかったです!」。旅の疲れがいっきに吹き飛び、午後からの仕事に向かいました。
・打上げ
鹿児島市内に戻り、夜は恒例の舞研さんとヒメヒコバンドとの打上げ。
散々奄美の文化に触れた5日間でしたが、ここでも奄美料理に舌づつみを打ちながら黒糖焼酎を痛飲、5日間の旅のあれこれを語り合いながら最後は島唄で散会。このチームの結束をさらに強めました。
この5日間で高校生たちだけでなく、我々大人も奄美の皆さんと交流し、成長させてもらいました
。この事業に参加させていただいていることを強く誇りに思い、心から深く感謝しています。ありがとうございます。
また、次もお声がかかりますように。。
ヒメヒコ関係者の皆さんのみ公開のフォトサイトをつくりました。
ご覧になりたい方は、info@rizha.jpまでメールください。
内容各所に配慮したつもりですが、また公開情報として相応しくない内容があればご一報ください。修正いたします。
・2009年2月28日(土)16:45~17:15
・南日本新聞社ロビーにて
・出演:森田孝一郎と約40名の参加者の皆様
・ご依頼:南日本新聞社様
南日本新聞は、鹿児島の地元紙です。その夕刊は、極めて身内ノリ的な地域ネタや芸能、スポーツネタなど、どちらかというとゆるい記事で県民から永年愛されてきました。ボクの家も子どものときから夕刊が届けられ、中学校時代は夕刊の配達をして、最初の楽器(YAMAHAのドラムセット)を買いました。そんな思い入れのある夕刊が、この2月でオシマイになり、そのお別れイベントへの出演を打診されたのです。
せっかくならお客様方皆さんと一緒に夕刊への感謝の気持ちを込めてお別れのリズムを刻もうと思い、たくさんのタイコをお客さん方に配り、ボクの叩くコンガのリズムに合わせて、好きに叩いてもらいました。壁にはたくさんのこれまでの夕刊の記事が掲示されていました。それでボクは、皆さんが奏でるリズムに乗せて、その記事の見出しを見ながら即興でうたをうたいました。「新幹線開通♪」「鹿実、優勝♪」「夕刊ありがとう♪」などなど。
リズムが人と人をつないでいくように、新聞も情報と言うリソースをつかい人と人をつないでいく媒体のひとつであろうかと思います。これまでボクの活動もたくさん記事にしてもらいましたし、日々のイベントも告知してもらっています。
これまでの夕刊のゆるいネタを、より幅広い読者層を持つ朝刊がどこまで取り込めるかわかりませんが、鹿児島をもっともっと楽しめる紙面づくりに今後も期待したいと思います。
永年、ありがとう。>>夕刊
これからもよろしく。>>朝刊
・2009年2月14日13:00~15:15(400席満席)
・2009年2月14日19:00~21:15(400席満席)
・2009年2月15日13:10~15:30(400席超満席)
・鹿屋市リナシティかのやにて
・ご依頼:鹿屋市青少年演劇祭実行委員会様
・出演:普通の高校生たち
・音響・照明:株式会社舞研
・演奏:松永太郎&ヒメヒコバンド
昨年に続いて2回目の高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」の舞台音楽演奏。昨年より公演回数も増え、お客さんも増え、普通の高校生たち(ほとんど女子)とめちゃくちゃ濃い3日間を過ごしました。演出家・松永太郎さんによる脚本と舞台音楽の作詞作曲、そして演出、さらに自らバンドのギター、キーボード、ヴォーカル、パーカッション・・・。。バンドは満田昭人さんのキーボード、 永 志保さんの歌と三線、昨年高校生として参加した菊池光さんのベース。ダンスは松永太郎さんとのコラボレーションが全国 3位の実力に昇華した国分中央高校ダンス部、合唱は地元鹿屋女子高校合唱部、そして一般公募の普通の高校生達、みんな強力すぎました。
2/13(金)17:30現地着・・・・通しリハ>>>19:00~21:40
午後から病院での仕事を終え、そのままフェリーで錦江湾を渡り会場のリナシティかのやに直行。すぐに通しリハ。バンドリハを2回、台本通し読みを2回、譜面及びサントラチェックを数回、車中でのリスニングは数え切れず、自分なりの準備を整えて臨んだのですが、やはり生の現場は準備の通りには行きませんでした。
舞台上手前方に組んだドラム&パーカッションのセットの右手に台本、左手に譜面。台本見ながら視界内に舞台と下手に陣取るバンマスを。譜面見ながら視界内に客席と同じくバンマスを。通しリハしながら台本にも譜面にも赤ペンでの書き込みが増える増える・・・。 通しリハが終了したのが21:40。
この日から3日間、出演者、バンド、音響、照明、舞台総勢100名以上が会場に泊まりこみで集団生活。通しリハ終了後、出演者のお母さん達がつくってくれたハヤシライスをいただき、ボクはいそいそと会場併設のマクスバリュに大人だけの親睦会の買出しに。深夜に及ぶ親睦会では3日間にわたるチームワークの結束が固まりました。宿泊はリハーサル室で雑魚寝zzzzz...
2/14(土)8:00起床・・・09:00ゲネプロ・・・昼夜2回の本番
携帯のアラームで自力起床、昨夜の残りのハヤシライスの朝食いただき、早速ゲネプロ(本番どおりに演目実施)。気合でやりぬき、緊張の初回公演へ。初回から素晴らしい演 技、演奏にも魂がこもりました。会場のあちこちですすり泣きが・・・。終了後の舞台挨拶で、この緊張から解き放たれ、舞台も会場もバンドも一緒になって早くも感極まった感じ。初回からこんなで3回目はどんなことになるんだろうか。。そんな思いで初回終了後、夜の公演までしばしお昼寝zzz。
初回がいい出来だっただけに、気が緩みがちな夜の公演前に松永太郎さんが全員を引き締めに。このおかげで2回目も会場は感動の渦に。出演者のアドリブがウケル~。
終了後シャワーを浴びたボクは、単独行動に。会場近くのジャズバーRAGTIMEに出向きギネスとワイン、そしてジャズの音でしばしリセット。これが効いた。その後、焼き鳥屋で盛り上がってる大人チームと合流。その後またまた超深夜まで・・・・・最終日に向け、結束をさらに固めました・・・・・・・。。。
2/15(日)07:30起床・・・10:00二部通し・・・13:00最終回
携帯のアラームで自力起床し、会場周辺をランニング。レトロな飲み屋街から小高い丘の旧家の屋敷、神社などを朝日を浴びながらまわりエネルギーを充填。朝食がうまい!
最終回前の二部通しリハでも台本と譜面に赤書きが増える。最終回がみんなの心深くにもっともっと染み込む様な、いいものにしたいという思いがいろんなアイディアを湧出させました。セリフへ反応する効果音は意外な展開にクラベス、すっとんきょうな展開にカウベル、ショッキングな展開にスプラッシュシンバルをスティックで削り、鳥が飛び立つ歌部分で譜面をバタバタ、ドラマの裏テーマである「白い鳥=ヒメ」登場から死後の霊の言葉亡き言葉にバードコールと、とにかくボクの道具で役に立つであろうことを総動員。とにかくアンテナ大全開で最終回に!
最終回最中にボクのとこに駆け寄り「もりたさん、マナは?」などと高校生ごときにアドリブをかまされても、こっちはキミたちが生まれる前からジャズの現場でアドリブで生きてきた人間。突然のアドリブ要求、しかも何かセリフを要求している。ボクは瞬時に反応しまし た。
「まな?・・・・・そけ、ほわ!(そこに、ほら)」
会場はお客様、出演者、バンド、裏方全体で大爆笑の渦に。ま、プロのアドリブプレイヤーとしての面目躍如しながら、しっかり会場を温めきり、感動のクライマックスへ。。。。そして終了。
鹿児島市内に移動し、またまた大人は大反省会。大いに飲み、喰らい、そして大いに語り以降の夢が大きく膨らんでいきました。
「大隅」に眠っていた熱い魂を起き上がらつつある松永太郎さんという逸材に心から敬 意を表すると共に、出演者やバンドはもちろん、半年間に渡り裏方を支え続けてきたスタッフ(ヒメヒコサポーターズ)の皆さんに心から感謝します。
・2008年7月13日(日)18:00~20:30
・鹿児島市伊敷桂庵公園にて
・桂庵玄樹500年祭六月灯奉納太鼓
桂庵玄樹は、室町時代に京都と中国、そして薩摩と行き来しながら国内に朱子学をひろめた偉人です。その教えは、連綿と薩摩武士達に引き継がれ、明治維新の原動力となったとまで言われます。そんな偉人が、晩年はボクの住む鹿児島市伊敷仮屋町内(現桂庵公園)に住み1508年7月に82歳でなくなられたのです。
その没後500年を顕彰して、地元の町内会では2日間に渡るイベントを企画。初日は、前夜祭として桂庵公園内にある桂庵禅師の墓の前で「桂庵を語る会」を。そして7月13日は、午前中、500年記念式典、午後からは500年記念講演会、そして夜は500年記念六月灯と、町内はまさに100年に一度(前回400年祭も盛大だったらしい)のてんやわんやの大騒ぎ。実際、各イベントが予想を大きく超える動員で、打上げまで超盛り上がりなのでした。
そんななか、ボクの役割は六月灯オープニングでの、桂 庵玄樹の500年の偉業をたたえる「桂庵500年奉納太鼓」。桂庵の82年にわたる生涯から500年のときを経て、その偉業を顕彰し、そして今、伊敷の地でこうやって地域がまとまっている様を和太鼓の調べにあらわしました。そしてその後に、子どもたちと桂庵500年奉納ドラムサークル。ほんと子どもたちははじめて叩く太鼓でも楽しそうに叩きます。
その後、町内会婦人部の皆様による、踊りが続き、中休みで再度、奉納太鼓(叩き語り付)。また婦人部の皆さんの踊りが続きましたが、太鼓が大変好評で、最後の締めに3度目の奉納太鼓。
もう、ヘトヘトです。。和太鼓、わかってはいましたがかなりな体力つかいます。次回から本番に向けた練習だけでなく、体力づくりもしなくていけないと思いました。(思うだけじゃダメよ!)
その後町内会の青壮年部(今回からボクも加入)で会場かたづけ、打上げまで、みんなで地域の一体感を強く感じた1日でした。
これも桂庵禅師のおかげさまです。
ありがとうございます。
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