【振返】ボクの平成・・・
平成元年(昭和64年):22歳
1月天皇崩御ニュースを高校同窓会明けの朝、担任の松元先生と悪友らと自宅で観る。
平成2年(1990):23歳
春、鹿児島大学ジャズバンド部工学部建築学科卒業、(株)前川製作所入社。
上半期は茨城県守谷市の工場での研修、週末は深川本社寮に転がり込み都内、新宿、西荻ジャズライブ三昧。その頃、紀伊国屋裏新宿ピットインのトイレで臼庭潤と意気投合し、渋谷毅オーケストラをおいかけはじめる。
下半期、鹿児島に帰り、建設現場の現場監督を渡り歩きながら、鹿児島市天文館のジャズクラブパノニカを拠点にジャズドラマーとしての活動を再開。
平成3年1991:24歳
鹿児島大学ジャズバンド部OBを中心としたビッグバンド、Realdeal Music Orchestra(RMO)を結成、平成5年1993~平成18年2006までバンマスをつとめ、市販楽譜をつかわないオリジナルアレンジにこだわり、そのサウンドを追及。宮崎フェニックスジャズ祭への出演、CDリリースを経て、モントルージャズフェスからのオファーがあったが、渡航費無く・・・断る。
この頃のRMOのサウンドオマージュは、ギル・エバンス、ジミヘン、サンラ・アーケストラ、そして渋谷毅オーケストラ。
平成4年1992:25歳
2/29 有馬理恵子と結婚、3月ニューヨークへジャズ旅行。ヴィレッジヴァンガード、スィートベイジル、ファットチューズデイズ、ブラッドレー、ヴィレッジゲイトなどのジャズクラブで、エド・ブラックウェル、アート・ファーマー、クリフォード・ジョーダン、ギルエバンスオーケストラ、マーク・ジョンソン、ビル・エバンス(サックス)、テリリンキャリントン、ロイ・ハーグローブなどの強烈なジャズを体感。
平成5年1993:26歳
鹿児島86水害の直前、阿久根の現場点検中に6m転落事故、右足距骨骨折6か月入院、身体障害6級の666体験。
サッカー日本代表ドーハの悲劇を深夜病室のベッドで観た。
平成6年1994:27歳
長男、和音かずと誕生。
平成7年1995:28歳
ジャズクラブパノニカ経営立て直しのため、ボランティアでマネージャーに就任。
ライブブッキングもオーナー中山さんから引継ぎ、国内トップミュージシャンらとのコネクションを築く。
このころから盛んに地元ミュージシャンのライブをパノニカで企画制作。
平成9年1997:30歳
春、(株)前川製作所退職し、(株)グッドコミュニケーションズ入社。インターネットヴェンチャーの企画営業職で、ネット普及促進に邁進。
パノニカ経営(借金返済)も順調、昼間は会社員、夜はパノニカのマネジメントという生活。この頃は西千石町のマンション暮らし、毎晩、パノニカから東千石町界隈で飲み歩く。
演奏活動も、RMOに各種コンボにと盛んに展開。
平成10年1998:31歳
次男、直音なおと誕生。
平成12年2000:33歳
パノニカ借金完済後に中山さんと共に経営意欲減衰・・・5月閉店。25年の歴史に幕。
地元ジャズライブ拠点はコロネット、明日の地図、キャパルボ、リレットへ継承される。
平成14年2002:35歳
鹿児島市伊敷1丁目に自宅完成。
平成17年2005年:38歳
夏、宮崎のイベントでひのぴーとペッカーさんによるドラムサークルと出会い、ドラムサークルファシリテーターを志す。
秋、ジャズ恩師中山さん脳梗塞にたおれ、長い沈黙にはいる。
平成19年2007:40歳
春、(株)グッドコミュニケーションズ退職、リズムハート独立起業。
ドラムサークルファシリテーター、ドラマー、ドラム講師、音楽イベント企画制作、研修講師、文筆業などの事業を展開。
ドラムサークルファシリテーションを学ぶ中で、その道のパイオニアであるアーサー・ハル氏、ペッカー氏、石川武氏などに師事、学びと志を共にする多くの同志と出会う。
ジャズドラマーとしてもプロ活動していく中、今一度、ロイ・ヘインズ、ジャック・デ・ジョネットのプレイを研究。自己のバンドSwing Timeで「楽しいジャズ」を追及。
平成20年2008:41歳
11月コロネット閉店
平成24年2012:45歳
課税売上1041万をあげ、消費税納税事業者に。年間250本のワークショップ、ドラム生徒20人、自営業者としてのピーク・・・
平成28年2016:49歳
脳卒中(左視床出血)にたおれ5か月入院。50歳の誕生日をひとりぽっちの病室で迎えた。
平成29年2017:50歳
春、ビョーキ後遺症麻痺の残る不自由なカラダながら一部復職。
松本圭使実行委員長のもと鹿児島ジャズフェススタート。傍観のつもりが実行委員(アドバイザー)就任。
9月ジャズ喫茶門閉店、グッドネイバーズミュージックベンダーの名の元、坂口修一郎くんと共に門のジャズ資産移設プロジェクトを実行。
平成30年2018:51歳
ビョーキ再発は確実に「死」を覚悟・・・静かに穏やかに暮らすことを選択。
母と妻に感謝。
平成31年2019:52歳
春、平成の終わり、長年にわたり共に音楽を楽しみ学んだ3人の友とのあっけない別れ・・・・
何盛さん、黒ちゃん、まこちゃん、これまでおつかれさまでした。
すべての「変化」が「今」につながり、「今」はこれまでのすべての「変化」でできあがっている。
さ、令和元年2019:52歳~どんな「変化」が待ちうけているのか・・・
「令和」の字のごとく、梅の花を愛でながら和やかに静かに穏やかに暮らしたい。
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