【変革】鹿児島ジャズフェスティバル2017VOL.1
・2017年9月9日(土)10日(日)
・鹿児島市天文館公園周辺一帯にて
・動員数:両日述べ1万数千人以上・・・
・出演:鹿児島ジャズフェスティバルWEBサイトにて
・主催:鹿児島ジャズフェスティバル実行委員会
ボクが退院してまもない2017年2月、SNS上に「鹿児島ジャズフェス」の文字が躍った。主導者は鹿児島薩摩川内市出身で鹿児島市在住ながら全国的に活躍するジャズピアニスト松本圭使。彼のことは彼が高校生の頃、音楽喫茶「コロネット」でピアノ弾き出した頃からよく知っているし、一時期、ボクのバンドのピアニストとしても一緒に活動した。ボクは彼に「大変だろうけど、がんばってね。応援してるよ。」とメッセージ。すると、彼は「何言ってるんですか!一緒にやりましょう!」と。ウレシカッタ・・・。今、こんなカラダのボクでも、力を貸してほしいと圭使が言っている。ボクは鳥肌が実った。ボクはアドバイザーという役目で実行委員会に参画させてもらうことに。ボクはボクの30年にわたる鹿児島ジャズの場づくりキャリアを全部、このイベントに注ぐことに決めた。
<<天文館とジャズの親和性>>

そんな天文館のはずれでボクの母ナツ子は50年近く美容院を営み、夜の蝶たちをネオン街に送り出しつづけた。そしてボクはこの街、今回の鹿児島ジャズフェス会場一帯で遊んで育った。そのあたりの風景は拙著「薩摩青春ジャズ帖Keep Swingin'」に詳しい。(笑)
しかし、時代のうつりかわりと共に、キャバレーはとっくに無くなり、一時は映画館も全面撤退、ジャズは狭いジャズ喫茶と、敷居が高くて入りにくいジャズクラブへと押し込まれていった。そんなジャズクラブも旧パノニカを最後に2000年に無くなり、ジャズ喫茶も2017年鹿児島ジャズフェスのスタートと同時に最期のジャズ喫茶「門」が閉店となる。それでもジャズは、その遺伝子を受け継いだ若者たちが、しぶとく次のチャンスを虎視眈々とねらっていたのである。
KJFが「鹿児島で初のジャズフェス」とうたわれることがあるが、そうではない。かつて鹿児島には旧パノニカオーナーだった中山信一郎さんが中心となった「鹿児島モダンジャズの会」というのがあり、先述の天文館ジャズエイジの1960年代には、ジャズフェスではないが渡辺貞夫、日野皓正、チャーリー・マリアーノ、ヘレン・メリル、そしてなんとアートブレイキー&ジャズメッセンジャーズまで招聘し、南日本新聞社との共催ながら、鹿児島県立体育館を満員にしていたという事実がある。
そして1980年代、これも中山さんと新聞社による「新春ジャズフェスティバル」が県文化センター(現:宝山ホール)にて数回開催され、1990年代のバブル期には南日本放送主催による野外フェス「MBCジャズ&ポップ」が七つ島の原っぱで2年に渡り2回開催された。
その後、鹿児島でのジャズフェスは冬の時代を迎えるが、手前味噌ながらボクが有志と企画制作した「みんなで育てるカゴシマジャズフェスSweet Poteto Jam(SPJ)」が2011年からスタート。天文館の音楽基地CAPARVOビル全体を会場とする、中規模ながら趣向を凝らした企画で好評を博したが、毎年イベント終了後にボクが大腸出血で入院するという過労なやりかたがたたり、5年間、5回で終了。
そんで、今回の鹿児島ジャズフェス(KJF)につながるという・・・・。
<<鹿児島ジャズフェス(KJF)のビジョン>>

しかし、ジャズピアニスト松本圭使は、その夢をKJFで具体化させ、実現させるべく動いた。そして今回の第1回目で、その夢につながる結果をのこした。あっぱれ!!!!
KJFはジャズフェスだ。ジャズはなんでもありの音楽だけど、ボクが主導したSPJしかり、ジャズ以外の音楽まで内包したジャズフェスが全国あちこちで行われる中、ジャズだけにしぼって構成するのはかなりなチャレンジ。かつ今回のKJFは、基本的にパーマネントなバンドではなく、旬なアーティストを個別にブッキングし、事前の打合せと鹿児島入りしてからのリハーサルだけで、本番での化学反応でどんなジャズになろうかというスリル感満載、大規模なジャズフェスにおいてほとんどのアーティストが経験したことの無い斬新極まりないコンテンツ企画!それが実に功を奏した。若いアーティストのエネルギッシュな音に、ベテラン勢は全身全霊で応えた。音楽性の違いから普段交わることの無いアーティスト同士が、渾身の音をぶつけあい刺激を交換する姿に大観衆が興奮した。ジャズって、そのジャズがジャズであるところを見せつけさえすれば、子どもからおじいちゃんおばあちゃんにまで誰にでもウケるんだ!わかってもらえるんだ!ボク自身が、「ジャズは一般の人には誤解されやすい音楽」と誤解していた。ジャズは閉鎖的な音楽だと思われている、とボク自身が無用なる思い込みに、そのジャズの価値を閉じ込めていた。
そこに、芳醇な地ビールがあり、なんつあならん本格焼酎があり、うんまか地元の食材がある。KJFは、ジャズの価値を鹿児島の地から世界に向けて解放させる。
<<素晴らしきKJFの仲間たち>>

おかげさまでKJFという鹿児島の新しい名物が生まれました。ありがとうございます。今回の第1回は手探りでしたが、各会場の予想を大いに上回る盛り上がりに来年以降の開催に大いに手ごたえをつかみました。来年以降、KJF目当てに世界中から鹿児島に観光客が訪れ、日本を代表するジャズフェスに成長していけるよう、その過程を一緒に育てて行っていただけたらと思います。どうか来年以降もよろしくお願いします。
<<KJFはジャズと鹿児島を変革させる>>
ボクはこれまで企業協賛と補助金助成金で運営する入場無料の音楽イベントに懐疑的だった。ライブを観に来るかワカラナイ広告目的でお金(協賛金)出す人に頭下げるより、ちゃんと会場に足を運んで音楽を楽しんでくれるチケット買ってくれる人に頭下げるべきだろう、と。その考えは間違っていた。その考えが今までジャズに広がりを持たせられなかった要因だったのだ。

協賛企業様側は広告だけではなく、今回のボクら実行委員会の目論み同様、イベントの先にある「鹿児島の発展」に投資してくれ、そのおかげで入場無料イベントが実現し、多くの来場者をこのイベントに惹きつけた。
ジャズはマニアックで閉鎖的な音楽と、勝手にジャズの側が思い込んでいた閉塞感を、実行委員長松本圭使自らがぶち壊し、その価値を解放することで、ジャズと鹿児島に変革をもたらそうとしている。
ボクは、ボク自身がジャズの側に居ながら、ジャズをみくびっていた。KJFはジャズを通じて鹿児島を変革させる。今から来年が楽しみでスィングしまくりー!!!!
ボクも現在、ビョーキ(脳卒中後遺症)からの復興回復で、自分自身変革の真っ最中。ジャズドラマーとしての復帰を完全復興の目安にしているが、KJF同様、そこが目的ではなく、そこは通過点、その先にあるのは・・・・
さぁ、無用なる思い込みは捨てて軽やかに前にすすもう!
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