【交流】高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」奄美公演楽旅
・2009年8月24日(月)~28日(金)
・高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」奄美公演
・制作:リナシティかのや ・松永太郎
・出演:鹿屋、国分、奄美の高校生達
・音響/照明:株式会社舞研
・舞台:リナシティかのや
・楽団:松永太郎ヒメヒコバンド
松永太郎(Vo,Gt,Key,Per)、永志保(唄,三味線,Key)、満田昭人(Key)、了徳寺洋(Gt)、上谷耕平(B)、森田孝一郎(Dr,Per)
<<プロローグ>>
大隅半島と奄美大島の文化習俗交流の史実可能性を素材にして、演出家松永太郎さんが書き下ろした高校生ミュージカル「ヒメとヒコ」。これまで物語の片方の舞台である大隅半島は鹿屋市リナシティかのやで2年間、2回にわたり上演されてきましたが、前回今年2月の公演終了後の打ち上げで「夏は奄美に行こう!」と極めて無責任に盛り上がったのです。
それから半年・・・。ボクたち「松永組」は奄美大島行きのフェリーに乗っていました。「松永組」は高校生による役者、ダンサー、歌い手らと大人たちの舞台、音響、照明、楽団(ボクがドラムで参加)、そして帯同スタッフ、総勢約70名。太郎さんは2月の鹿屋公演の打ち上げでの「夏は奄美で!」の有言直後、その翌日から行動開始しました。そしたら本作品のメインテーマでもある「結」のごとく、度重なるハードルを乗り越えながらいろんな人と人が奄美公演を結いはじめ、これも作品のタグを牽くと現実に「1500年の時を超え、奄美と大隅が結ばれた」のでした。
そんな今回のヒメヒコ奄美公演の目的は、やはり物語のもうひとつの舞台である奄美大島の皆さんにこの舞台を見てもらって何を感じてもらえるか、そして大隅と奄美の高校生たち同士の交流でした。
ボクの役目はこれまで同様、舞台音楽のドラム&効果音担当。今回のバンドは一部メンバー入れ替えと増員で前回までの5名から6名になり、これまでのバンドチームワークを温存しながらバンドサウンドが2ランクアップ。とてもいい音に仕上がって奄美に向かいました。ボクらの音がこれまで以上に高校生の演技を引き立たせ、奄美の人たちの心と響き合って欲しいなぁ。そんな思いで4泊5日の奄美公演旅行に出たのです。
マクラはこれぐらいにして・・・そんな一太鼓叩きの目から見たヒメヒコ奄美公演道中。
<<1日目~公演初日>>
・2009年8月25日(火)19:00~21:20 龍郷町りゅうゆう館にて約500人のお客様
大人たちったら・・・。午後6時にフェリーに乗り込むなり出航前から客室にて公演の成功を前祝。
しかし!翌朝4時に起床し、4:45に奄美港に入港、そのまま公演初日会場の龍郷町りゅうゆう館に移動し、早朝6時からの舞台仕込み。舞研の大型トラックに積まれたおびただしい量の機材・大道具を大人たち総出で搬出しての文字通り「朝飯前」。高校生たちは奄美の高校生たちとのはじめての合同練習を前に緊張しながらの個別練習。ボクらバンドはそれこそ朝飯前に舞 台下でのバンドセッティングをほぼ終え、朝食お弁当いただいて、サウンドチェック終えたら舞台上の大道具、照明の仕込み調整が終わるのを待ってる間に昼食。
午後からは奄美の高校生たちも到着し、そこからは止めながらの通しリハ、ゲネプロ、そして夕食取る間もなく本番、さらに撤収まで息つく間もない怒涛のミュージカルジェットコースター!!!
しかし高校生たちの堂々たる演技っぷりに、生のミュージカルなんてたぶんはじめて見るであろう満員のお客さんたちは驚きと感動のまぜこぜ大感動の様子。バンドもそんな高校生たちとお客さんたちに触発され、とてもいい演奏ができました。
撤収終わって会場を後にしたのが深夜12時前。
夕食も摂らずにはたらき詰めの大人たちは、宿舎に帰る道中でコンビニになだれ込み、主催担当A専務の救いの声を耳に。「ここの支払いはよかど!」
それから、大人たちは・・・。
<<3日目公演2日目>>・2009年8月26日(水)19:00~21:20奄美市奄美文化センターにて約1000人のお客様
睡眠4時間で起床し、朝食をいただき、ボクらバンドは会場入りまでに時間があったので、自然散策マニアのボクは、波の音に吸い寄せられるように、ひとり宿泊先の奄美少年自然の家から貝浜まで降りていきました。道はかなり険しく、途中、来るんじゃなかった、と2回ほどあきらめかけましたが、だんだん近づいてくる波の音の誘惑に勝つことはできませんでした。
そして誰もいない朝の浜辺にたどりつき、やっと奄美に来た、という実感に埋め尽くされ、白い砂浜に座り込みし ばし呆然。白い珊瑚礁のかけらを4つほど拾い、波の音に包まれながら垣間見るその形状の不思議な様子を楽しみました。まさにセンス・オブ・ワンダー。この情感こそボクの音楽表現の源なんだなぁ、とつくづく感じました。その珊瑚礁のかけら、当日の舞台での「ヨイスラ節」の演奏でつかいましたが、気付いてくれたかな?
さ、当日の会場は県内でも有数の規模を誇る奄美市奄美文化センター。バンドはオーケストラピットでの演奏でかなり気合が入りました。この日も午後からは舞台上での部分リハーサル、通しリハーサルと息つくまもなく本番までスィッチ入りっぱなし。
本番は、ボクは舞台中央の真下から客席全体が見渡せ、お客さんたちの真剣なまなざし、爆笑、そして感涙をまんま受け止め、音を表現することができました。でもそのとてつもなく大きな感動のウネリは、ボクの表現者としての処理量を越えてしまい、受け止めた以上にオーバーパフォーミングしてしまったかもしれません。しかし、そんなお客様方へ大きな感動のプレゼントを渡すことができた高校生達の演技と、それを引き立たせた大人たちは、最高にハッピーな本番2時間半を過ごせたのではないでしょうか。本番の最中、関係者全員が、奄美大島の地でのこの公演が、打上げで語った単なる夢ではなく、我らがボス松永太郎の行動により、様々な関係者の思いが結実していきながら、その夢が現実に可能になり、半年という短期間で実現できたことの夢見心地を楽しんでいる
ようでした。
本番終了後、我々ヒメヒコバンドは、舞台撤収中のスタッフの皆さんには悪いと思いながら、後ろ髪を引かれる思いで、奄美の受け入れ先窓口である奄美青年会議所さんが用意された打上げ会場ASHIBIへ。そこで、激しくうまいオリオン生ビールと黒糖焼酎れんとをたっぷりいただき、宿舎に帰りついて見上げた夜空。白く曇ってるのかな、と思ったらそれは生まれてはじめて見た天の川でした。おりしもその日は旧暦の七夕。演じた舞台は「ヒメとヒコ」。そしてその日はヒメを演じた高校生の誕生日でもありました。この世のものとは思えないほど美しく幽玄に光り輝く夜空を見上げながら、これは偶然ではなく必然であることを悟り、大きな感謝の気持ちとともに奄美での最後の床についたのです。
<<4日目 観光と交流>>
公演を終え、この日は観光と交流の1日。
・奄美パーク
「奄美の郷」と「田中一村記念美術館」が併設されている奄美パーク。ボクはかねてからの念願であった「田中一村記念美術館」に1点集中。これまでも2回、鹿児島市内での展覧会で見ていますが、何度でも見たいのが一村の作品。開館直後にヒメヒコ団体は奄美の郷から見て回ったので、一村にまわったボクは、一村の作品群を独り占め。途中まで誰にも邪魔されずにじっくり一村を堪能しました。やはり奄美以前の作品は平凡に見え、奄美以後の作品は今もその一村の魂が息づいているかのようで、作品の前にたたずんだ瞬間に鋭い戦慄を覚えます。広い展示室でひとりっきり床に座り込んで一村の屏風絵を見ていると、自分の音楽表現は一村の言う「自分の良心」にしたがっているのだろうか?と自問自答。一村の領域にはとてもじゃないけど踏み込めませんが、「音楽に対する自分の良心」は常に意識して音を出さねばとあらためて思いました。
・鶏飯「ひさ倉」
奄美に来たのがはじめてですので、やることなすこと全てがはじめてなのですが、奄美の郷土料理、鶏飯を食べるのもはじめてでした。
うまかった!
ただ、それだけ。でも、自分でもつくれそう。。
・平瀬マンカイ
今回の舞台「ヒメとヒコ」の物語を、松永太郎さんが創発された実際の現場で、物語のはじまりをみんなで共有。ところが、大フォトセッション大会に終始。女子高生らとVサイン。うははは。
・大浜海浜公園
今年初の海水浴が奄美大島で、しかも女子高校生たちと一緒、ってのはどぅよ。いやぁ、愉快痛快奇奇怪怪。楽しかった!ただ、それだけ。
・海辺でバーベキュー大交流会
海水浴の後は奄美青年会議所の皆さんがセッティングしてくれた大交流会でバーベキュー。今回の舞台にも出演した奄美高校郷土芸能部の皆さんによる島唄、おどりなどが気分を盛り上げ、海の向こうに沈む夕陽が名残惜しい別れを演出。最後は全員で八月踊り、六調で超特大の盛り上がり。高校生たちも大人たちもみんなが交流をさらに深めました。バーベキューもおいしかったけど、オリオンビールのカップで飲んだ麦茶は別れの涙でほろ苦かった。
・お別れ
夜9時半発のフェリーに乗り込んだ「松永組」は、全員デッキに出て最後のお別れ。七色のテープが伸びきり、暗闇の中、遠ざかるフェリーに向かって走る 高校生たち。
さ、次はどんな物語がはじまるのでしょうか。
フェリーが出ると大人たちは・・・・・。
<<5日目 終わりははじまり・・・>>
朝6時前に起きてデッキに出たら、目の前にドドーンと屋久島からのぼる朝日が、次の物語のはじまりを告げているようでした。(ヒメヒコバンドのライブ、、、来年2月のリナシティかのや公演、、など)
そして、舞台ではすばらしいダンスを演じてくれた国分中央高校のダンス部の皆さんからもらった寄せ書き「森田さんのドラム、ちょーかっこよかったです!」。旅の疲れがいっきに吹き飛び、午後からの仕事に向かいました。
・打上げ
鹿児島市内に戻り、夜は恒例の舞研さんとヒメヒコバンドとの打上げ。
散々奄美の文化に触れた5日間でしたが、ここでも奄美料理に舌づつみを打ちながら黒糖焼酎を痛飲、5日間の旅のあれこれを語り合いながら最後は島唄で散会。このチームの結束をさらに強めました。
この5日間で高校生たちだけでなく、我々大人も奄美の皆さんと交流し、成長させてもらいました
。この事業に参加させていただいていることを強く誇りに思い、心から深く感謝しています。ありがとうございます。
また、次もお声がかかりますように。。
ヒメヒコ関係者の皆さんのみ公開のフォトサイトをつくりました。
ご覧になりたい方は、info@rizha.jpまでメールください。
内容各所に配慮したつもりですが、また公開情報として相応しくない内容があればご一報ください。修正いたします。
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